2022年9月発行「Sustainable Innovation Lab Annual Report 2021」へ掲載された記事をお届けします。最近、文化人類学の方法論や思想をビジネスに生かす試みが盛んだ。たとえば、人類学の博士号を持ち、現在はジャーナリストとして活躍するジリアン・テッドは『アンソロ・ビジョン』(日本経済新聞出版、2022 年)という本で、人類学の方法論や思想がビジネスにどのように活用されているかを、インテルやネスレといった世界的企業のマーケティングや製品開発から、パンデミックへの対応といった政策課題に至るまで豊富な事例を紹介している。人類学は、アマゾンの熱帯雨林やアフリカの農村、アジアのスラムなど研究対象とする社会に入り込み、そこで暮らす人びとの実践や言葉を事細かに観察し記録するという「参与観察」を看板に掲げている。また基本的な姿勢として、いかに奇異にみえる慣習や文化にも論理や機序があると仮定し、私たちがふだん「かくあるべきだ」と考えている価値判断や倫理観を括弧に入れて、まずは現地の人々の声に耳を傾け、他者のやり方を学ぶことを重視する。こうした参与観察という調査方法と共感的に他者を捉える思考法が、いま「ユーザー視点」で世界を見ることや多様性を重視する企業や実務家に注目されつつあるのだ。たとえば、テッドは、次のような事例を挙げている。ネスレ社の「キットカット」は、イギリスでは「ハブ・ア・ブレイク、ハブ・ア・キットカット」というキャッチコピーで広まった。だが日本では、このキャッチコピーでは売れなかったという。ある時、日本のマーケティング部門の幹部は、受験シーズンになると九州でキットカットの売れ行きが急に伸びることに気づいた。「きっと勝つとぅ」という博多弁に掛けて、キットカットが受験のゲン担ぎに使われていたのだ。ネスレチームは当初、このゲン担ぎに大きな意味があるとは思わなかった。海外の人びとからすると、何でもお守りにする日本の宗教観(記号体系)は奇妙なものだ。ただ、彼らは、ティーンエージャーたちに「どんなキャッチコピーが良いか」を聞く代わりに、ブレイクから連想する光景を写真に撮ってもらった。これは「フォトエリシテーション」という民族誌調査の手法である。すると、そこには音楽を聴いたり、眠ったりといった光景が映っていた。ティーンエージャーらが求めていた休息は、平たい言葉で言うと「だらだらする」ことだったのだ。ここからネスレのチームは、受験の合格の象徴である桜をモチーフに「きっと、サクラサクよ」のキャッチコピーを編み出し、今日のヒットにつながったという。この事例から引き出せるヒントは次のようなことだ。私たちは地域課題や環境問題を解こうとする時につい質問に頼りがちだ。けれども、アンケートや聞き取り調査には本人が意識している問題は現れるが、無意識的に行為していることは回答されないのだ。たとえば、もし私が調査するタンザニアの商人たちが日本の企業で働いたら、彼らは「なぜ日本人はこんなに頻繁に『すみません』と謝るのだろう」「家族の事情で休む時になぜ申し訳なさそうにするのだろう」といった、私たちが半ば無意識的にしている無数の行為に疑問を持つだろう。社員の日常的なかかわり方が違えば、一人一人部屋を持ち、個々のパソコンで作業するといったシンプルな想定が全く受け入れられないこともある。人類学の参与観察は、こうした行為の一つ一つを細かく観察・記録することから当該社会の文化や慣習を明らかにしていく。それゆえ、近年では、働き方改革や社内の問題点を明らかにするために、自社を人類学者に調査してもらうという企業も増えているそうだ。風景デザインの専門家であるハナムラチカヒロは、『まなざしの革命』(河出書房新社、2022 年)という本の中で、先行き不透明で、あるべき未来が想像できない中では、現在の延長から未来を予想する「フォアキャスティング思考」も、理想像からいまを考える「バックキャスティング思考」も役に立ちそうもないこと、それゆえ、誰もが釘付けになっている問題、誰もが囚われている解決策、絶対視されている意味や価値をひとまずリセットし、無法者か革命家のように常識の外側から物事を考える「アウトキャスティング思考」が必要になると述べている(「まなざしの革命」pp16-17)。人類学は異文化に浸かって「外側の視座」を獲得し、そこから自分たち自身の「あたりまえ」を問い直すという往還によって研究を進める、まさにアウトキャスティング思考の学問である。それは、先行き不透明な課題に対しても役立つと信じている。ただ、みながみな人類学を研究するわけでもないし、自社会に居ながら異文化の目を獲得するのは大変だ。そこで私は最近、シリアスゲーム(教育や医療などのシリアスな目的に使用されるゲーム)などを用いて、民族誌(エスノグラフィ)をメタバース化する方法を模索している。つまり、民族誌を「仮想現実」のような形で提示し、日本に居ながら、企業や実務家の人々にも、人類学者と同様に異文化の人々のやり方を体験してもらうのだ。そして、そこから、最近はやりのSF プロトタイピングならぬ、エスノグラフィ・プロトタイピングをして、オルタナティブな社会を考えるヒントを引き出してもらうというアイデアだ。たとえば、ヤップ島の巨大な石の貨幣は持ち歩きできず、したがってモノと交換するわけではない。誰から誰へと移譲されたかを記録する媒体という意味ではブロックチェーンと似ているが、石の貨幣を贈与・交換する論理は資本主義経済の論理とは異なるものだ。石の貨幣に刻まれているのは、移譲や交換の記録だけでなく、その時に何が起きたかをめぐる記憶でもある。紛争の和解や同盟などの重大な事態には、過去に同じような重大な事件の時に交換・贈与された石の貨幣しか受け入れられないこともある。これも考え方を変えれば、筋が通った論理だ。人の命が貨幣を積んだら償えるのはおかしいかもしれない。でもかつて相手が親しい人を失った時に泣く泣く受け取った貨幣なら、私も泣く泣く受け取ることができるかもしれない、と。エキゾチックな文化は一見すると私たちに関係ないように思うだろう。でも体験してみると、いろんな想像が膨らむこともある。たとえば、未来の社会では貨幣に「色」がついており、それぞれの社会的グループが異なる色の貨幣を持っているとしよう。それを掛け合わせると多彩な貨幣ができるトークンのようなものだ。その社会では何か困ったことが起きて誰かに解決を依頼する時、多くの貨幣を積むことでも支払えるが、特別な色の貨幣ならたった1枚でも解決してもらえることもある。受け取った人が貨幣の鮮やかな色をみて、「ああ、この人はこんなに多様な人びととつきあってきたんだな」と心を動かされることで。新しい経済や社会を動かすしかけを考えるヒントは、異なる社会の人類の営みの中にも埋もれている。そんな楽しいしかけを人類学と実践的な社会の課題を横断して考えていきたい。小川さやか文化人類学者 / 立命館大学大学院先端総合学術研究科教授